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『Qrixkuor / Three Devils Dance』

霧の都より現れし謎の覆面集団
全3曲約40分。耳に馴染む要素は一つもない。多くの人は不快と感じるだろうし、精神的に苦痛を伴うことになるかもしれない。客観的に邪悪であると言えますが、これがろくでもないものかと問われれば僕は「そういう事ではない」と答える。

でも、なぜ僕はこういう音楽を聴いているのだろうか?
 

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カバーアートはDaniel Corcuera もうヤバすぎです。異端審問委員が火を焚いて喜んじゃう。
 

ということで、いきなり何か語りだしたわけですけど、本日紹介のレコードは「Qrixkuor / Three Devils Dance」今回のレコードを聴いて思ったことです。
 
 

人はなぜ、ド・マイナーな音楽に魅了されるのか?

結論を先にいくつか考えてみると「カッコつけてる」「オタク」「ボッチ」「マゾ」「アホ」…… 
そ、そうじゃない。そうかもしれないけどもっと根本を探らなければ。ちょっとした仮説を立ててみました。
 

音楽にはシーンがあり、僕らは大なり小なり流行の中で音楽好きを公言している。自分では主観的に判断しているつもりだけど実際はメディア、著名人、先輩、友人など外部からの影響に感化され、気が付かないうちに主観の概念は客観的なものへ上書きされてしまっている。そうなると、どうしても共有共感しやすい音楽、特定の人間に対し即効性のある音楽に比重を置くようになるのではないか。

しかし、中には主観的概念に委ねる音楽、あるいは既存概念の認識を問うアーティストが存在する。革新とか保守とか流行におけるイノベーター理論では価値観を見出せない音楽です。当然主観を認識していなければ理解することはできない。
はっきり言ってメンドクサイ。

「だが、それがいい。」

 
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Qrixkuorの抱く心底の念とクラシックに通じる音楽観によって構築された曲は難関であり、集中して聴かなければ何も頭に入ってこない。表層面上は不気味な音階の垂れ流しである。
 
 

音楽を聴くってメンドクサイ

最初は外部からの影響は避けられないけど、不思議なことに人は突然変わると思うのです。
この Qrixkuor を例にすると、最初はさっぱりだけど、何度も何度も聴き直すうちに「あ~これはMorbid Angel の「D」から大衆的なメタル要素を取り除ぞき、後に残った純然たる闇を狂詩曲へと昇華させんだな」とか、ブラックメタル的に考察すればDeathspell Omegaと比較するようになるでしょう。また、僕にはクラシック音楽の教養はありませんが、そういう音楽に精通している方が概念に対する認識を意図的に変えればまた違った聴き方ができると思う。

あ~メンドイ、とにかくメンドイ。

音楽を聴くってメンドクサイことなのかもしれない。身近に参考にするものがなかったら自分で調べるしかない。掘ったり、ググったり、ディグったり… でも、このメンドクサさが凄く楽しい。楽しくてたまらない。これが主観に価値観を見出す瞬間なのではないでしょうか。後は探求あるのみ。深淵へまっしぐら……
 

何の話だが分からなくなってきたけど、最近こんなことばかり考えていたので文章にしてみました。ド・マイナーな音楽を理解して下さいってことではなくて、音楽性の優劣判断は数学のように数値には置き換えられないので個人の主観に基づくしかないってことです。